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星火方正
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第33号(2021年12月発行) / 1冊44記事 を表示しています。

  第33号(2021年12月発行) 第33号(2021年12月発行)表紙

旧満洲で迎えた敗戦から新中国建設のなかで1
橋村武司
解説:本稿は、2021年6月6日(日)、方正友好交流の会・第17回総会後に行われた橋村武司(はしむら・たけし)さんの講演の記録である。橋村さんは、1932年(昭和7)長崎県対馬生まれ。8歳で父を亡くし、1943年(昭和18)、母と妹と3人で満鉄勤務の伯父を頼ってハルピンに渡った。その後、中学1年で終戦を迎え、1950年、中国に留用された元満鉄社員の義父の家族とともに西部の甘粛省・天水に鉄道新設(天蘭線)のために移住、現地の中学・高校で学んだ。1952年に天蘭線は開通した。この年、中国より日本に引き揚げ、1960年中央大学工学部電気工学科卒業後、シチズン時計㈱入社、水晶時計、事務機器、健康機器の研究・開発に従事。その後、㈱アマダに入社し、レーザ加工機の研究・開発、中国進出計画に携わり、1994年には深圳地区で委託加工工場を立上げた。1995~97年JODC(海外貿易開発協会)専門家として北京清華大学精儀系でセンサーの技術指導に当たる。日本国内では地域産業振興を促進。2000~2009年北京八達嶺鎮で防風固沙の植樹に、北京地理学会と共同活動。中国技協節能建築技術工作委員会外事顧問として建築物の省エネ・環境対策に参画。現在、天水会会長、龍騰グループ代表。日中人材交流、技術移転、文化交流など幅広く活動されている。(大類善啓記) /// 続きは本誌ご参照
無言館ノート「あの夏のまま…」15
横井幸夫
信州・上田市の郊外、塩田平を望む丘の上にひっそりと建つ美術館がある。無言館という。管主の窪島誠一郎(1941~、作家・水上勉の隠し子)と自らも出征経験を持つ画家の野見山暁治(1920~)の二人が全国を回って太平洋戦争で戦死した戦没画学生の遺族を訪ね、遺作を蒐集した。蒐集作品は700点を超す。美術館「信濃デッサン館」の分館として1997年に開館した。私は数年前の初夏に親しい夫婦3組6人で無言館を訪ねた。強い日差しの中、深い緑の林に囲まれた坂道を上ると、丘の上に無言館があった。館内は薄暗く、訪れる人も多くはなかった。明るく、華やかな絵は一枚もない。見る人は無言の絵に、無言で向き合う。美術館入り口を入って左に一枚の裸婦像が掛かっている。絵とその説明文だ。 /// 続きは本誌ご参照
戦争体験の継承:この人にしか語れない喜びと悲しみ―奈良県香芝市から「満州」・シベリアについての発信19
西嶋拓郎(奈良県香芝市)
2021年10月17日(日)深夜放送のNNNドキュメント『凍土の記憶』(96歳が伝えたシベリアの強制労働)は、京都府綾部市のシベリア抑留体験者・原田二郎氏の70歳を過ぎてから始めた「シベリア抑留体験」の語り部活動を見事に伝えていて感銘を受けた。ともかくその語りが自然体で前向きなのだ。 /// 続きは本誌ご参照
中国における日本文学の受容 管見―五味川純平「人間の条件」を端緒に26
平山三男
「質問があります。」思いつめたような顔つきで近寄ってきた受講生がそう言った。「『人間の条件』・・・主人公の梶について、どう思いますか。」都内の予備校の講師室でのことだった。質問に来た予備校生は、その後、都内の大学に入学。卒業後、社会人として数年生活をした後、地方国立大学医学部に入り、今は精神科医として開業している。予備校卒業後、しばらく関係は途切れていたが、最近、連絡がつき、彼の卒業後の経緯を知ることになった。 /// 続きは本誌ご参照
「PTSDの日本兵と家族の交流館」は「日本が二度と戦争を起こさない。誰もが安心して暮らせる社会」をめざし「戦争はしません。白旗を掲げましょう。話し合い和解しましょう」の白旗を掲げ活動しています!31
黒井秋夫
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会(語り合う会)」は2018年1月17日に発足し、2020年5月10日に「PTSDの日本兵と家族の交流館(交流館)」を開館しました。コロナ禍にもかかわらず、開館以来1250名を越える皆さんに来館いただいています。 /// 続きは本誌ご参照
「満蒙開拓団」の生き証人、林正之さんの証言35
千田優子
林正之さん一家は家族総勢10人で満蒙開拓団として旧満州に行き、二人のお姉さんたちは中国人と結婚したため30年以上経って帰国し、現在、日本でそれぞれが自立し仲良く暮らすファミリーです。90歳を過ぎた林正之さんに戦争体験を語って欲しく書き留めたものをまとめてみました。 /// 続きは本誌ご参照
方正県以外にもう一基「日本人公墓」があった―水戸市河和田町本法寺境内に39
末広一郎
中国東北元満洲国・哈爾濱市郊外に、哈爾濱和平公益性墓園があり、そこに”日本人公墓”の石碑が2000年10月30日に建立されました。続いて2001年5月には、”極楽世界碑”が建立されました。暫くして”張氏家之墓”となりました。 /// 続きは本誌ご参照
現地礎で掘り出された遺骨処理のための訪中調査報告43
深田允文     転載元:礎会だより第38号(2000年12月1日発行)
礎会富山大会で、六期仰木道之氏から報告のあった、礎現地で遺骨が掘り出されて野晒しになっているという問題については、その後更に一期津田久稔氏訪中の折に、哈訓病院跡に新設された病院にも、二体の遺骨が保管されていることを知らされ、写真を撮るなどしてそれを確認し、病院長からはこの処理方法について質問されたが、帰国後に然るべく回答する旨を告げて帰国したとの報告があった。 /// 続きは本誌ご参照
「長谷川テル訪問記念の碑」建立募金にご協力を45
宮城恭子/田辺実(奈良・長谷川テル顕彰の会会長/事務局長)
「星火方正」の読者の皆さん。この度、古都奈良の名刹・般若寺境内に、日中戦争のさなか、反戦・平和を世界に叫び続けた長谷川テルさんの顕彰運動の一環として、「長谷川テル訪問記念の碑」建立のための募金を開始できるはこびとなり、『星火方正』の読者の皆さんに一言ご挨拶とお願いを申し上げます。 /// 続きは本誌ご参照
人類は一つの共同体なのだ!―『エスペラント~分断された世界を繋ぐHOMARANISMO~』(大類善啓著)に思う50
椎名鉄雄
私は、本書で紹介されているエスペラントの生みの親、ザメンホフの思想「人類人主義」(HOMARANISMO)は、普遍的価値を保持していると思う。今人類は大きな曲がり角に立っている。人類は、自らの力で切り開いてきた文明の力で自らを窮地に追い込んでいる。今なお地球上では、民族・国家・宗教間の対立・紛争が絶えない。その根源には、ナショナリズムがある。ポーランド生まれのユダヤ人ザメンホフ(ユダヤ人に対する大虐殺を経験)は、「我々は人類の一員である。国家・民族を超えたこの大地に生きる一人の個人を出発点として、この世界を考えていこう」と人類人主義の考え方を提示した。人類を一つの共同体と看做した。一つの共同体に暮らす人類が相互理解を進め、平和な暮らしを築くため、エスペラント(世界共通語)を創った。しかし、一部の国家は、国家間の争いの解決手段として科学技術の粋を集めた原子力兵器の使用も視野に入れている。私は、ザメンホフの「人類人主義」の思想と、その思想実現の為のエスペラント(世界共通言語)は、この危機的な状況を突破する力を秘めていると思う。 /// 続きは本誌ご参照
エスペラントの可能性に思いを巡らしつつ…―『エスペラント』(大類善啓著)を読んで52
滝永登
数年前、50年来の旧友と一献交わす機会があり、そこで「君はなぜエスペラントをやっていたのか」と問われたことがある。いきなりの問いかけだったので、「世界平和」とか「人類愛」などとは、いかにも気恥ずかしく、とっさに「英語が嫌いだったからだ」と答えた。そのときは、質問の意図をかわしたいという心理が働いたのかもしれないが、振り返ってみれば決して的外れな受け答えではなかったと今思う。 /// 続きは本誌ご参照
語り掛ける言葉をめぐって:『エスペラント―分断された世界を繋ぐHomaranismo』を読む56
森一彦
『エスペラント――分断された世界を繋ぐHomaranismo』大類善啓著(批評社2021年5月25日刊)を読了した。読了して、すぐにでも感想が書きたくなった。その一因は、本書に関わった人々の想いが非常に丁寧な本づくりとなって表れているからではないかと感じた。なかでも装幀(臼井新太郎)のカバーデザインは秀逸で、「分断された世界とエスペラント」という本書のテーマに沿って、帯に書かれた<ちょっと変わった人たちだけど、みんな個性豊かなホマラニスト>という世界観を、歴史のなかに埋もれた静かな輝きとして、地中の宝石のように見事にデザイン化している。このような丁寧な本づくりをさせた基をただせば、本書に描かれたひとり一人のホマラニストに対する、著者の愛情と敬意の力に他ならないであろう。 /// 続きは本誌ご参照
エスペラントの内在思想に迫る:『エスペラント―分断された世界を繋ぐHomaranismo』(大類善啓著・批評社)を読んで思う60
初岡昌一郎
この本は表題からはエスペラント語入門書と間違えられかねないが、ザメンホフ博士によって創始されたエスペラント運動とその思想を紹介することに主眼が置かれているので、「エスペラント思想入門」の書と言えるだろう。私が知る限り、本書は日本でこれまでに出版されたエスペラント思想紹介書として最も優れたものだ。何よりも明快でだれにも分かりやすく解説されている。それは筆者がこの思想を自家薬籠中のモノとしているだけでなく、フリーのジャーナリストとしての経験を生かした、並々ならぬコミュニケーション能力と優れた文章力によるところが大きい。 /// 続きは本誌ご参照
心優しき「ホマラニスモ」への誘い―世界語としてのエスペラントに魅せられた群像に触れて62
木村知義
不思議な書だ。エスペラントという言語の歴史を縦糸に、それに魅せられ、あるいはその「伝道師」とも言える人生を歩んだ人々の群像を横糸に、まるで綾なす一反の織物のように丹精込めて物語を織り上げ、そして優しく語りかけてくる。言語の歴史や言語論の解説の書でもなく、ましてや入門書でもなく、エスペラントとともに生きた人間の物語を語ることで、エスペラントという言語が引き受けなければならなかった「運命」を胸に沁みることばで紡いでいく。 /// 続きは本誌ご参照
エスペラント(大類善啓著)65
瀧澤弘和(経済学者・中央大学教授)     転載元:読売新聞(2021年8月22日付朝刊)
ユダヤ系ポーランド人ザメンホフが19世紀末に発表した世界共通語エスペラン卜。彼の理念は国家、民族、宗教の違いを乗り超えた新しい世界を獲得することだった。 /// 続きは本誌ご参照
わたしの出した1冊の本『エスペラント―分断された世界を繋ぐHomaranismo』66
大類善啓     転載元:一般財団法人日本エスペラント協会「エスペラント」(2021年10月号)
2013年ごろ、改めてエスペラントに注目したのはザメンホフの言うHOMARANISMO(ホマラニスモ)、人類人主義という思想だった。当時、日本と中国では領土問題を契機にナショナリズムが噴出し、中国の「人民日報」からは「国際主義」が消え、頻出してきた言葉が「愛国主義」だった。 /// 続きは本誌ご参照
『エスペラント―分断された世界を繋ぐHOMARANISMO』出版を巡って67
大類善啓
今年2021年5月末に批評社から上梓した表題の拙著は、自分で言うのは気が引けるが予想以上に好評で嬉しい限りである。まず、日本のエスペランティストの中では、世界一有名人ともいえる堀泰雄さんがA4版2頁の分量で拙著を推薦するメールをエスペラント界の友人知人に発信してくれ、かなり拙著が知れ渡った。 /// 続きは本誌ご参照
集団自決兵士いなければ…―家族失った元開拓団員 最後の慰霊68
佐藤勝(信濃毎日新聞)     転載元:信濃毎日新聞(2021年8月9日付朝刊)
「ここへ来ると不思議と気持ちが落ち着くんだ」。8日午前、長野市の花岡平霊園。慰霊碑に手を合わせた岩下博志さん(87、塩尻市片丘)が、ほっとした表情を見せた。76年前、旧満州(中国東北部)で集団自決した中和鎮信濃村開拓団の元団員で、父母と弟4人、妹を亡くした。コロナ下でも仲間と続けてきた慰霊だが、車の運転もままならなくなり「今年で最後」と決めて来た。「いったん戦争になると、皆が―つの方向に向かう」。戦争の怖さをそう訴えている。 /// 続きは本誌ご参照
8月、忘れてならないこと69
大浜敏夫     転載元:八重山毎日新聞(2021年8月9日付)
1945(昭和20)年8月9日は、世界で2発目の原子爆弾が長崎に投下された同じ日の末明、日本のかいらい国家「満州国」に突然ソ連軍が侵攻してきた日でもある。かつて日本全土の約3倍もの面積の中国東北地方に13年間だけ存在した実質日本の植民地「満州国」があった。そこへ国策として日本全国から「満蒙開拓団(以下開拓団)」として送出された農業移民が約27万人もいた。開拓民が最も多かったのは長野県の3万77859人、次いで山形県1万7177人、熊本県1万2680人と続くが、沖縄からも恩納、今帰仁、南風原など七つの開拓団から2994人の開拓民が渡満している。 /// 続きは本誌ご参照
手記『満州開拓団棄民の私』を昨年出版70
青野圭(しんぶん赤旗)     転載元:しんぶん赤旗(2021年9月3日付)
今から76年前の敗戦時、国の「棄民政策」によって旧満州(中国東北部)にとり残された入植者は、凄惨な逃避行を強いられました。中国に残らざるを待なかった子どもや女性も多く、後に日本への帰国を果たした人も、苦難は長く続きました。痛苦の体験をつづった手記『満州開拓団棄民の私』を昨年出版した人がいます。 /// 続きは本誌ご参照
満蒙 悲惨きわまる逃避行71
西口友紀恵(しんぶん赤旗)     転載元:しんぶん赤旗(2021年9月7日付)
戦後、日本の植民地や占領地から引き揚げてきた民間人は320万人近く。なかでも「満蒙開拓団」は国策によって日本のかいらい国家「満州国」(中国東北部)のソ連(当時)との国境付近に送り出され、1945年8月9日のソ連の突然の参戦、侵攻で悲惨きわまる逃避行を強いられました。 /// 続きは本誌ご参照
元義勇軍 満州で失った青春72
柳沼広幸(朝日新聞)     転載元:朝日新聞(2021年9月11日付)
日本が1931年9月に中国東北部に侵攻を始めた満州事変から90年。翌32年に愧儡国家「満州国」を建国し、農業移民の満蒙開拓団が送り込まれた。群馬からの移民も多い。今の中高生の年代で訓練を受けた満蒙開拓青少年義勇軍もあった。大陸で青春を送り、敗戦で多くを失った。 /// 続きは本誌ご参照
「戦争のリアル」考える糸口に―広島大大学院准教授・中村江里さん73
森田裕美(中國新聞論説委員)     転載元:中國新聞(2021年9月15日付)
戦争は究極の殺し合いだ。戦場や軍隊での体験が原因で心に傷を負い、精神疾患を発症する兵士は少なくない。かつて曰本が突き進んだ戦争でも、精神疾患になった旧日本軍兵士たちがいた。しかし彼らの存在は、戦時中は隠され、戦後は忘れ去れ、長く「見えない問題」にされてきたという。なぜなのか。彼らに光を当てる意義とは―。戦争と心的外傷(トラウマ)の歴史に詳しい中村江里・広島大大学院准教授(38)に聞いた。 /// 続きは本誌ご参照
今日柳条湖事件90年―満州にソ連侵攻、逃走中に衰弱 「連れて行って」仲間の声 今も74
東京新聞     転載元:東京新聞(2021年9月18日付)
1931年9月、日本の旧関東軍が中国・奉天(現在の遼寧省瀋陽)近郊の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破した「柳条湖事件」から18日で90年となる。日本が中国東北部を占領した満州事変の発端となり、現地につくられた「満州国」には新天地での生活を夢見た移民が多数渡った。しかし太平洋戦争の激化を経て、希望は絶望に。当時壮絶な体験をした男性が、平和への思いを語った。 /// 続きは本誌ご参照
歴史を複眼視する重み75
朝日新聞     転載元:朝日新聞(2021年9月18日付社説
9月18日が何の日か、知っていますか。90年前のこの日、中国東北地方の奉天(いまの瀋陽)郊外の柳条湖で、鉄道の線路が爆破される事件が起きた。 /// 続きは本誌ご参照
こちら特報部:満州事変勃発90年―純真イメージ 友好演出のプロパガンダ 一翼担わされた子どもたち76
飯田樹与(東京新聞)     転載元:東京新聞(2021年9月26日付)
90年前の9月18日、旧日本軍が中国で鉄道爆破事件を自作自演し、満州事変が始まった。半年後には愧儡の「満州国」を樹立させ国際社会から厳しい批判を浴びたが、国民の多くは熱烈に支持した。そんな国内の空気をつくり出す一端を、子どもたちが担わされていたという。子どもと戦争のかかわりを研究する大妻女子大の是沢博昭教授(子ども史)は「純真無垢な子どものイメージを利用したプロパガンダの危うさは、今にも通じる」と警告する。 /// 続きは本誌ご参照
9・18「満州事変」から90年―国会議員の「選良」たちにこそ近現代史教育を78
内田雅敏(弁護士)     転載元:東愛知新聞(2021年9月27日付)
1931年9月18日、中国東北部の奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖付近で日本軍は、謀略によって南満洲鉄道の線路を爆破し、これを中国人の仕業として軍事行動を起こしました。いわゆる満州事変です。翌32年、日本は「五族協和」をうたった満州国を創りました。五族とは、日本、朝鮮、中国、満洲、蒙古の5民族のことです。「五族協和」は建前で、実情は日本の愧儡(かいらい)国家でした。 /// 続きは本誌ご参照
幻の村:哀史・満霞開拓(手塚孝典著)80
瀬川千秋(翻訳家)     転載元:東京新聞(2021年10月2日付)
時がたち風化していく歴史がある一方、歳月を経たからこそ明らかになる歴史もある。本書は1965年生まれの信越放送ディレクターが、長野県内のかつて満州移民だった高齢者を中心に取材を重ね、満蒙開拓の実相に迫ったルポルタージュだ。 /// 続きは本誌ご参照
地下道の7歳 強烈な飢えの記憶―戦争孤児、弟と生きるため盗み殴られ81
清川卓史(朝日新聞編集委員)     転載元:朝日新聞(2021年8月30日付)
終戦後の東京・上野駅地下道で、生きのびるため残飯を拾い、弁当を盗むほかなかった戦争孤児たち。栄養失調で倒れても手を差しのべてくれる人はなく、公的支援も届きませんでした。当時7歳だった女性の証言です。 /// 続きは本誌ご参照
負の記憶 風化させない―朝鮮人虐殺の証言集30年ぶり復刊82
砂上麻子(東京新聞)     転載元:東京新聞(2021年8月31日付)
1923年9月の関東大震災の際に起きた朝鮮人虐殺の記憶を継承するため、東京・下町の有志の手により出版された証言集「風よ鳳仙花の歌をはこべ」が、増補版となって約30年ぶりの復刊を果たした。虐殺の事実を矮小化しようとする論調に危機感を持った市民グループが「正しい歴史を伝える責任がある」と企画した。 /// 続きは本誌ご参照
封印されたビデオ:東京大空襲 体験者の証言―扉1枚 生死を分けた83
井上靖史(東京新聞)     転載元:東京新聞(2021年9月21日付)
一夜にして10万人が亡くなった1945年3月10日の東京大空襲など戦争の記憶を継承しようと、東京都が約300人の体験者の証言を収録したピデオテープが四半世紀公開されず、倉庫で眠っている。貴重な体験を後世に伝えるため、本紙は、ビデオの収録に応じた証言者をできる限り探し出して話を聞いた。六回にわたって紹介する。 /// 続きは本誌ご参照
封印されたビデオ:東京大空襲 体験者の証言―平和継承の思い 応えて84
井上靖史(東京新聞)     転載元:東京新聞(2021年9月21日付)
一夜にして10万人が亡くなった1945年3月10日の東京大空襲など戦争の記憶を継承しようと、東京都が約300人の体験者の証言を収録したピデオテープが四半世紀公開されず、倉庫で眠っている。貴重な体験を後世に伝えるため、本紙は、ビデオの収録に応じた証言者をできる限り探し出して話を聞いた。六回にわたって紹介する。 /// 続きは本誌ご参照
封印されたビデオ:東京大空襲 体験者の証言―家族か吹き飛ばされた85
井上靖史(東京新聞)     転載元:東京新聞(2021年9月22日付)
「家族が吹き飛ばされた」。1945年3月10日の東京大空襲では、「火事場風」と呼ばれる熱を含んだ突風があちこちで吹いた。東京都葛飾区の船渡和代さん(89)は25年前、都の要請に応じてビデオカメラの前で、その恐ろしさをまざまざと語っていた。都が船渡さんに渡したビデオテープを見せてもらった。 /// 続きは本誌ご参照
封印されたビデオ:東京大空襲 体験者の証言―「助けて」の声…逃げた86
井上靖史(東京新聞)     転載元:東京新聞(2021年9月23日付)
惨事の中、とっさにとった行動が悔やまれる。「あの人はどうなったのだろう」。東京都墨田区の甚野年子さん(90)は、76年たった今も脳裏から離れない記憶がある。 /// 続きは本誌ご参照
封印されたビデオ:東京大空襲 体験者の証言―疎開先でも空襲 工場場壊滅87
井上靖史(東京新聞)     転載元:東京新聞(2021年9月24日付)
「中学生のとき、学徒動員され工場で働いた。一歩間違えれば死んでいた。収録に応じたのは、平和がいかに大切かを感じてくれればという思いからだった」 /// 続きは本誌ご参照
封印されたビデオ:東京大空襲 体験者の証言―砲弾の破片 拾いに行った88
井上靖史(東京新聞)     転載元:東京新聞(2021年9月25日付)
「ここまで覚えているかって思うね」東京都豊島区の理容業岡本邦夫さん(86)は、改めて20年以上前に撮影された自らのビデオを見て語った。 /// 続きは本誌ご参照
封印されたビデオ:東京大空襲 体験者の証言―一生残るはずだった89
井上靖史(東京新聞)     転載元:東京新聞(2021年9月26日付)
「祖母は証言が残ると期待して撮影に応じた。多くの人に見てもらわねばならない」。東京都品川区でパソコン教室を開く神尾守さん(49)は、2010に95歳で亡くなった祖母、横谷イセ子さんの証言映像を動画投稿サイト・ユーチューブにアップした。 /// 続きは本誌ご参照
元日本兵墓地 清掃50年―ロシア・ナホトカ祖母と2代のポランティア90
小柳悠志(東京新聞)     転載元:東京新聞(2021年7月5日付)
異郷に眠る元日本兵を、子どもの頃から見詰めてきた。日本海に面したロシア極東ナホトカにシベリア抑留者の墓地があり、1人のロシア人女性がポランティアで清掃に通っている。終戦から76年を迎える今、命の重みを再ぴかみしめながら。 /// 続きは本誌ご参照
台湾の人権問題で闘った日本人たちがいた!91
大類善啓
毎朝、自宅で購読している新聞や事務所で取っている新聞に目を通しているが、詳細に読んでいたら、それこそ時間が取られてしまう。私が畏敬する90歳を超えるTさんは、テレビも見ず、新聞は読まず、ニュースはインターネットでチェックするぐらいだ。それでも社会に対する鋭い発言は衰えを知らず、「大類さん、新聞もテレビもないと、読書がはかどるよ」と言う。確かにそうだろうな、と思いつつ、まだそこまで私は行っていない。まだまだ新聞もテレビも時に頭脳に刺激的なニュースを提供してくれている。 /// 続きは本誌ご参照
台湾の民主化支えた街の日本人94
古谷浩一(朝日新聞)     転載元:朝日新聞(2021年10月18日付)
いまや民主主義のお手本のように言われることもある台湾だが、半世紀前には反体制と見なされた多くの市民が政治犯として捕らわれ、処刑された暗黒の時代があった。非情な独裁政権下、市井の日本人たちがひそかに人権支援をしていた。香港やミャンマ﹈などアジアで自由や人権が脅かされるいま、そうしたかつての日本人の行動が改めて注目されている。 /// 続きは本誌ご参照
知らされざる人権弾圧の歴史―アムネスティ台湾レポート95
大類善啓(ルポライター)     転載元:人類愛善新聞(1977年9月号)
8月の暑い夏の季節を迎えるたびに「ヒロシマ」と「ナガサキ」が人々に思い出され、戦争犠牲者への追憶がほんの束の間、人々の頭をよぎる。 /// 続きは本誌ご参照
対談:元軍国少女が封印した「終戦」―昭和20年夏、満州で起きたことを今こそ語ろう96
澤地久枝×上野千鶴子(構成:篠藤ゆり)     転載元:『婦人公論』(2021年8月24日号)
まもなく8月15日。ノンフィクション作家の澤地久枝さんは、78年前の終戦を満州(現・中国東北部)でむかえた。その後の収容所生活など、引き揚げまでの1年あまりのすさまじい体験は、澤地さんの作家としての原点になっている。社会学者の上野千鶴子さんが、初めて語られる14歳の「終戦」に迫る。 /// 続きは本誌ご参照
方正日本人公墓が私たちに問いかけるものとは―「方正友好交流の会」へのお誘い103
方正友好交流の会
1945年の夏、ソ連参戦に続く日本の敗戦は、旧満洲の「開拓団」の人々を奈落の底に突き落としました。人々は難民、流浪の民と化し、真冬の酷寒のなか、飢えと疫病によって多くの人たちがハルピン市郊外の方正の地で息絶えました。それから数年後、累々たる白骨の山を見た残留婦人の松田ちゑさんは方正県政府に、「自分たちで埋葬したいので許可してください」とお願いしました。その願いは方正県政府から黒竜江省政府を経て中央へ、そして周恩来総理のもとまでいき、「方正地区日本人公墓」が建立されました。 /// 続きは本誌ご参照
報告/編集後記104
大類善啓
会報33号の内容はいかがでしたでしょうか。当初は原稿がいつもより少ないかと心配もしていましたが、締め切りが迫ってくるとどんどん寄稿も増えて頁数も増えました。もちろん、かなりの新聞からの転載もあります。編集している立場から言えば、後から会報を振り返って見れば、「こんな記事があったんだ」と思うこともしばしばあり、新聞の転載は本誌の資料的価値を高めることもあるのだと思ってもいます。 /// 続きは本誌ご参照
 
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